打首獄門
20190221
打首獄門(うちくびごくもん)
『打首獄門』というワードをテレビの時代劇で聞いたことがある。
罰の一種で現代で言えばかなり重い判決の内容に当たると認識していた。
遠山の~が罪人にいいわたすあれ。
時代劇の中でよく聞くワードだっだけど
『打首』という罰が、きっと「首を切る処刑」のことである、という誰でもわかる迫力ある言葉にたいして、
『獄門』という罰は漠然と(漫然と)勝手に
『等身大の水車にはりつけにされて回される拷問の一種』と理解していた
水車の下の部分は水に浸かっているて、水車の回転とともに水の中に顔が浸り呼吸ができずに苦しいという
磔水車のこと(一般的に磔水車と表現するかはわからないけど)
ようするに
『獄門』=磔水車だった。
「漠然とした認識」と表現した理由はきっと、
その状況を考えると少し不思議で、なぜそのようなことを『罰』とするのかが納得いかなかったからだろう。
正確には納得しようと考えることがそこまでなかった。
本当は獄門→打首なのかなとも思っていた
だって
打首してから獄門しても拷問にならなくない?
苦しくないじゃん。首ないんだから。
友人との会話で打首獄門ネタになるったときに
会話の内容から『獄門』とは『さらし首』的なことであることを理解する。
あぶなかった
またやるところだった。
だいせん/おおやま事件に続きあぶなかった。
※地図を見ていて『大山=おおやま』と認識していたが、出会った旅ライダーとの一般的な会話で『大山=だいせん』であることに気づく
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