ひがみ
パンツを買うとき、たいてい丈をつめる。パンツといっても下着ではない。『下着の方のパンツの丈を詰めていたら、かなりアグレッシブなやつだ』ズボンのことだ。
ちょうどよいのがないのは、
オーダーメイドではなく、幅広い人を対象としたサイズで、丈を切る方向で調整するほうがよいという売る側の判断からだろう。
買うたびに、丈を詰める。
そんな人達は私の他にもいるはずで、それらをひとまとめに分類するためにあえて、
「ジーパン切る派のひと達」
と名付けることにしよう。
そして、もちろん逆の立場の人達もいる。
「ジーパン切らない派のひと達」だ
当然だけど『切る派』は買うときに店員さんに来てもらい、詰める長さを決たりという余分な工程がある。会計の後、待ち時間もある。
ようするに素直にいかないのである。
そしていつもその切った部分の扱いがきになる。私はなぜかいつも大量に切ることになるのだが、エコロジー的もったいない精神から考えてもその部分のことが気になるし、金額的にも気になる。勝手についていた余分を切り落としただけなのに請求がプラスされる。
もとから短ければ良いのに。
切らない派の人達が金を払って足せばよいのに。【この場合『足す派の人達』になる】
でも実際そんなことにはならないのは分かってる。しかしせめて余分な部分がなくてはならない側が余分に金額を負担するシステムにはならないだろうか?
だって、大量に切り捨てた上に金まで払らわされるなんてみじめすぎる。
それなら大量に切らなければ収まらない丈の物を流通させている人達が優越感と共に金額を余分に払えばいいじゃないか。
高田馬場の駅で背の高い外国人女性を見かけた。
その人はスラッとしていて身長180くらいあり、足も長い。そして
7分丈位のパンツを履いている。
いや、
もしかしたら7分丈ではなく
足りない派の人?
その人のカッコイイ様子と足りてないくらいの足の長さと、足りてなくてもカッコイイ様子に、
切る派、切らない派以前の問題で、似合う派の人達にたいしてのひがみであると理解する
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