意味
最近あまり更新してないけれど、何も考えていないわけではありません。相変わらずいろいろ、下らないことから真面目なことまで、考えているつもりです。しかし以前のように表現しようとは思わない。
何か考えていてもそいつを表現しない。何となくやる気がないからとか面倒くさいからだと思っていたけどそればかりでもないらしい。うまい表現ではないので伝わるかわからないけど、きっと『意味』を考えてしまうからだと思う。
語る言葉の意味と
言葉を語る事の意味
『語る言葉の意味』が内容で、『言葉を語ることの意味』が理由ならば、理由が先にありその理由に沿うような内容を発言するのだろう。
なにか発表するときに、期待どおりの理解が得られるように(語る理由)、与える情報を制限したり、それに脚色したりする(語る内容)。そうなってしまうと、語る言葉は、発する側の利益と直結しやすい。
予言者とか超能力者の類いの人がもし居たとして、天災を予知とかしてしまったときに、それを知らせるために語ることや表現することは意義があることだと思う。
しかしそんな能力は私には存在しないので、日々生きていて普通に気付くことを、なんとなく書き綴ってもなんの役にも立たない。
しかもなんとなくのつもりでもその語る内容は自分基準の切口にしかならないはずだ。
あまり様子を知らない人(状況)に対して、質問をしないのもそんな理由からだろう
興味がないからではなく、その、人の言葉を聞くまえに、状況を他人に聞くまえに、
(相手や他人が嘘つをつく必要もチャンスもなくなる状況で)
自分の判断をかってに間違えたならば、誰も悲しくないはずた。ただ自分が間抜けなだけだ。
人の言葉に意図や期待が含まれているのならそれは呪いだとおもう。呪いというとホラー系の怖い話のようだけど、もっと現実的に、
意図があり発言した内容が意識的か無意識かに限らず影響を及ぼすことです。
最初に受ける呪いは多分命名だろう。生まれた子供に名前をつける。画数等を気にして、親が意図した名前をつける。
当然のことだけど、良くも悪くもこの瞬間から親の期待という呪いにかかっているのだろう。
言葉が呪いなら、感じることは祝福されていて、でも人の考えは混沌だ。
語る言葉は自分のなかにある。感じることで経験するけれど、それを完璧に記録するのは不可能で、考えることは混沌を増大させる。そんな不完全な記録と混沌で出来た考えでも、発した瞬間に呪いとなる
いつの間にか呪われて心がとらわれてしまったり、何かを呪ったりするより
自分のなかに?が増えるほうがマシだ
そんなところなのですが
ということは、これも呪いになるのかな?
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